体を治すのが医者で薬なら心を治すのはエンタメだと思う
長年、生きづらさを抱えてきた。
長年と言ったってまだ21年しか生きていない若輩者なんですけれども、
それでも私はたぶん、死にたいか死にたくないかで言うと、死にたい側の人間だった。常に。
私が特に生きづらいなと思った時期が、現状までで三回ある。
一回目は中学生のころ。
いじめに合い、人間関係のすべてを失い、
かつ思春期で滅裂な素行を取ってしまったせいで親にひどく迷惑をかけた時期。
良くも悪くもこの時、今の私の人格が発芽したように思う。
笑えてしまうほど自己肯定感が下がったのもこの時期だった。
日々何をして生きればいいのかよくわからず、成すことすべてが罪に思われて、
自分みたいな人間がテレビを見るとか、食べるとか、恥ずかしいことなんじゃ…と震えていた。
恐る恐る生きていた。
そんな折、母に誘われて市民図書館に出向いた。
読書ってなんか高尚っぽい。
これならなんとなく「私の今している行為は書物を読むという善行であります」と言い訳できる気がした。何に言い訳したいのかもよくわからなかったけれど。
だからひたすら本を読んだ。マジで、比喩ではなく、一日中読んだ。
図書館で借りられる本は一回に十冊が限度だったので、一日十冊を目標に毎日本を読み、次の日には前日の十冊を返却して、新たに十冊借りた。
家に帰って、ただただ本を読んだ。
この時期に読んで特に記憶に残っているのは、辻村深月の『水底フェスタ』だ。
田舎のコミュニティの閉そく感、文化が入ってくるまでのタイムラグ、周りの人間の錆びた感性。
主人公の生きづらさに恐ろしいほど共感した。
作者には、私に地獄が見えている。
救われた気がしたと同時にひどく嫉妬した。私と同じ地獄が見えていながら、それをエンタメに昇華する健常性を持ち合わせているということに、嫉妬した。
嫉妬と自分の才能への焦燥を感じながらも、それでも、あの時期あの作品たちに出会わなければ私は私を保っていられなかっただろうなと思う。
(なお、今の私はすっかり弱って保守的な大人になってしまっているのでおそらくもうこの作品の主人公には共感できない。田舎の良さって不思議ですよね。人が温かい、とか空気うまい、とかくだらないメリットしか言語化できないのに、言語化できないところに本当の良さがあるように感じてます。ただのホームシックかもだけど)
二度目にひどく死にたいと感じていたのは、五年間にわたる専門学校生時代の最後の二年くらいだったと思う。
このころは、ただ、焦って焦って辛かった。
私を私たらしめてくれたエンタメで、今度は自分が、生きづらい人を救いたい。
そんな明確な気持ちがある一方で、その為の努力ができない自分にイラだっていた。
同時に学校の勉強はスパルタで、吐きながらテスト勉強をしたり、腱鞘炎になりながらレポートを書いた。
五時間、一滴の水も飲まず実験をしたときは自分がいつ倒れるか、気が気じゃなかった。
山積みのタスクと刻一刻と迫る将来の選択の瞬間への恐れで、もう人生苦しいなあと思った。
そんな時に私に寄り添ってくれたのは、音楽だった。
朝はラ・ラ・ランドのサントラを一年半近く聞き続けた。
学校からの帰り道、amazarashiを聞きながら車の中でハンドルを握って号泣した。
学校とバイト先の往復で体が動かないほど疲労した日は、爆音で欅坂の楽曲をキメた。
夕日の綺麗さに思いをはせる余裕がある日は、ヨルシカを聞きながら、頭の中でMVを作ってみた。
もう動けない。何もできない。
そんな時に音楽は動く後押しをしてくれた。
この曲を聞きながらアレをやろう。そう思えば動かない体がなんとか動いた。
本当に「キメる」と言う表現がはまっていると思う。
三度目に生きづらさを感じているのが、まさに今だ。
先日からたびたび仕事無理ぽよ、みたいなブログは更新しているので更に踏み込んだことは語らないけれど、とにかく今、ふとした瞬間に、
全部めちゃくちゃになってくれ
と思う瞬間がある。
だけど冷静に、めちゃくちゃになっていくのは自分だけで、世界は平常運転なんだなと思ってしまって、また死にたくなる。
久々に外に出れて、旧友と会って酔っぱらって最寄り駅から自宅まで歩く途中、ファミレスで赤本を使って勉強している学生を見た。
とてつもなく泣きたくなった。
実際泣いた。
親孝行がしたい。社会の役に立ちたい。
そう思って、エンタメの夢を断ち切って働きに出たはずだった。
会社にも行けず、何かに夢中になる気力体力もなく、病院で処方された薬を飲みながら吐き気や腹痛と戦い、元気な時は酔っぱらって歩く私。
必死の形相でノートと赤本を睨む学生が、私みたいになりませんようにと祈った。
全然知らない子だけど、我が子のように彼の幸せを祈った。
死にたさと戦いながら過ごした学生時代が思い出される。
ここさえ乗り越えれば、明るい未来が待っていると信じていた。暗いトンネルを抜ければ明るい場所に出られると、願っていた。
泣きながら家に帰って、ふと、キッチンの包丁が目に入ったとき、ワアと思った。
包丁にこんなに縋ってしまいたくなることってあるんだなぁと思った。
痛いのは嫌だし、親に心配かけたくないし、みたいな理性が警鐘を鳴らしてくれたおかげでそのまま私はベッドに倒れこんだ。
でも、ただの包丁なのに、なぜか見てはいけないものを見たような気持ちがして心臓がバクバク鳴った。
分かってる。
本当は、包丁を見た瞬間によぎった選択肢が、自らの思考とは言え恐ろしかったのだ。
そんな怖い出来事があったのが、たった昨日の話なのだけれど、
明日は久々の出社日で、何としてもいかないと退職への道筋も立てられないなと思って早めにベッドに入った結果、出社への恐怖で嘔吐を繰り返し、こりゃもう駄目だと明日の出社を諦めてPCに向き合っている次第だ。
良く生きてるなぁ。
自分でも最近、よく思う。
だけどそんな今の私を支えてくれているのは、まぎれもなくラジオだ。
明日が怖い。来週も怖い。来月も怖い。
心も体もボロボロで、先のことを考える余裕もなくて、人がまともに働いていると思うと、昼間が怖くて、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋でただ横になっている。
だけどそんな私を明日へ送り出してくれるのが、ラジオだ。
月曜は菅田将暉のANN聞かなきゃいけないから、月曜まで生きてみよう。
火曜はCreepyNutsのANN0があるから死ねないな。
水曜は佐久間さんのANN0があるし、木曜は井口理のANN0がある、金曜は三四郎と霜降り明星で長時間楽しませてくれる。
土曜日はオードリーのANN。
それ以外にも、好きな声優や芸人の30分ラジオが、私の小さな死にたい時間を埋めて、生きる理由になってくれてい
死ねない。明日のラジオが楽しみだから。
社会の役に立てていない。親に迷惑をかけている。ダメ人間。
そんな恥ずかしさが今の自分にはあるのだけれど、そんな人間さえラジオが笑わせてくる。
体を治すのが医者で薬なら、心を治すのはエンタメだと思う。
少なくとも私には、ずっとそうだった。
私の延命措置は、小説で、音楽で、ラジオだ。
誰かにとっては人生のオプションでしかないかもしれない「それ」が、
誰かにとっては命綱で、人生そのものだと言うことを、私たちは忘れてはいけない。