私の人生

先日、久々に会った友人が愚痴をこぼした。
「恋人が突然、『結婚するから来年は仕事をやめると親に報告しとけ』と言い出した」
いつかは結婚するつもりで付き合っている恋人ではあるけれど、そんな話は二人で話しあったこともなければ、具体的な予定などひとつも立っていない段階だったらしい。
私は「許すな」と、スターバックスラテを片手に激怒した。
友人も、「私の人生なのに結婚するからと言ってお前の手中に収まった感覚で口出すなとキレた」と言っていた。

そう、彼女の人生は彼女のものだ。
結婚しようと旦那のものになる訳では無い。
産んでもらったからと言って親のものでもない。
彼女の人生は一生、彼女のもの。

同じように、私の人生は私のものだ。

夏、新卒で就職した会社で見事に心をおられた私は、天井を見つめるだけの日々を過ごしていた。
お金もない。元気もない。仕事ももうすぐ無くなる。

これからどうすればいいのだろう。

毎日そればかり考えていた。
現実的に、役所でするべき手続きはどんなものがあるんだろう。
友達にはなんて報告しよう。
地元を送り出してくれたお世話になった人達になんて言おう。
就活に協力してくれた学校の先生にはどれだけ謝ろう。
次の仕事は何をしよう。
これから、どうすればいいのだろう。
何から、どうやって、誰に、なにを......
結局何も出来ず、天井を見つめ、泣くだけの日々。

ある時、何かが壊れたように急に活動のスイッチが入った。
朝起きたらまず映画を見て、昼に出前をとって2本目の映画を見て、夕方から朝3時までは漫画をひたすら読んで、寝て、起きたらまた映画を見る。
そうしているうちに、思い出してしまった。

ああ、世界は楽しいことばかりだ。

今この瞬間にも、面白い物を作ろうと頑張っている人が沢山いる。
私の人生の時間の全てを捧げても足りないくらい、世の中には楽しいものが溢れている。

誰かの悪意に耐えて泣いている時間なんてない。
誰かのために傷ついて、我慢して、消耗している暇はない。

私の人生は面白い物を消費するためにある。
私がそう決めた。

そして誰かの作品が私にそうしてくれたように、私も誰かの人生の1部になるような作品を作りたい。
そのために人生を使いたい。
私がそう、決めた。


今年は、私が私の人生を取り戻した1年だったように思う。
どこかふわふわと、自分じゃない何かの手に委ねてしまっていた私の人生が、私の元に帰ってきた。
私の人生は私のもの。
当たり前だけれど、本当にそうだ。
そして同時に、私は私の人生以外を持たない。
今このブログを読んでいるあなたの人生はあなたのもので、私のものでは無い。
人には人の人生。

私たちはしばしば、それを忘れてしまう。
自分の人生が自分のコントロール下にあることも、他人の人生は自分のものでは無いことも。
自分の人生を決められるのは、自分だけの権利だ。
だから自分の人生には責任と覚悟と、ちょっと大きな態度で持って臨みたいし、他人の人生は他人のものとして尊重したい。

社会的な名前に、自分の人生を奪われている人は大勢いるのだと思う。

学生だから、社会人だから。
女だから。男だから。
親だから、子供だから。
ブスだから、美人だから。

どんな名前を背負っていても関係ない。
人生は、自分のものだ。



ああ人生。私の人生。誰のものでもない。


令和元年の大晦日、テレビではシワひとつない肌を携えた椎名林檎が、声をはりあげて歌っていた。

どうか私と、私の好きな人たちが、自分の人生を自分の足で歩んでいけますように。
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年を。