機嫌の悪い大人たち

社会人になってびっくりしたことがある。

みんな、びっくりするほど機嫌が悪い。

特におじさんと呼ばれる年代の男性の機嫌の悪さ、そしてそれを誇示しているかのようなオーラ、態度。
駅でぶつかった時舌打ちしてくるおじさん、あれは変わり者だと思っていたけど、おじさんという生き物全体のマジョリティだったのかもしれない。最近そう思い始めた。

ただ機嫌が悪いだけなら「この人怖い」と距離を置けばいいだけだ。
でもおじさんたちの怖いところは、「職場では針山のように尖った態度で機嫌の悪さを前面に出してくるくせに、お酒の場になると途端に仲良くなりたくて仕方が無い様子でソワソワ擦り寄ってくる」ところなのだ。

怖い。これがただただ怖い。
DV男のような理不尽さ、情緒不安定を感じてしまう。

私と仲良くなりたいなら仲良くなりたいなりの態度というものがあると思う。
別に特別親切にしろと言うんじゃなくて、例えば話しかけたら返事してくれる、とか、その程度の話を私はしている。
仕事中の私はお荷物で、邪魔者で、時間を食う新人で、お酒の席での私は一発芸で沸かす芸人で、熱い議論に見せかけた旧時代的な精神論に全肯定で相槌を打つおもちゃで、断りもなく肩をだいたり手を握っていい性的対象だ。

私は社会を回す歯車としての役割を担いたくて仕事をしているわけで、おじさんたちの即物的な怒りや性的欲求を満たすために働いている訳では無い。

そしてせめて、若くて無能な女として即物的欲求の掃き溜め便器としての役割しか私にないと言うのなら、怒りか性欲か、ぶつけるのはどちらかにして欲しい。

殴った後に愛してると囁くDV男はヤバくて異端な存在と誰もが認めるのに、不機嫌を隠しもしないおじさんが飲み会では肩をだいてくることは当たり前な世の中の空気は何なのだろう。


そもそも大人って、自分の感情を殺してコミュニケーションを円滑に進められる人のことを言うんだと思っていた。
幼稚園児より面倒な情緒を持ち合わせたあの臭い生き物たちは、一体なんなのだろう。それが「おじさん」なのだろうか。


「お前らが想像してる最悪の地獄よりさいっっっあくの地獄がこの世にはあるからな」

春、Creepy Nutsオールナイトニッポン0でDJ松永が言っていた。
想像していた地獄なんて「当たり前」の範疇なのだと今身をもって実感している。ということは、まだまだもっと深い地獄が待っている。
人と関わらず生きていく方が絶対に楽じゃないか?社会ってなんだこれ。

私は父の事が好きではなかった。
いい人なのはわかるけど、いい人なんていうのは人として最低のラインであって、尊敬の対象にはならない。
むしろ芸術やエンタメへの理解が浅い父とは会話や価値観が共有できず、根本的に合わないと壁を作っていた。
でも、今ならわかる。
父はいい人だ。それだけで、この世の中では素晴らしく出来た人間だ。
父は不機嫌を撒き散らさない。それが仕事であれば尚更、感情は軽々しく他人に見せない。女性には触らない。これに関しては私が見ていないだけかもしれないけれど、だけど、自分の娘のような歳の子の手を握って唾を撒き散らしながら支離滅裂な会話をしたりはしていない確信がある。
父はこの世では凄い人だ。
でも、変な話だけれど、私は父が凄いと崇められるような世の中であって欲しくなかった。
父のようであることが当たり前な世の中であって欲しかった。


中学時代、いじめられていた私は、その時に優しい人になろうと誓った。
誰が見ても優しく、外面だけでも最大限和やかに。
それが社会で生きる責任で、そうしなきゃ社会には受け入れて貰えない。そう思っていた。

そうでもないな。

気づいてしまったよ、15の自分、ごめんな。
社会、思っていたよりいい人じゃなくても生きていける。
優しくなくても生きていけるらしいわ。
大人はみんな機嫌が悪いから、無理して感情殺して笑って「大人になりたい」なんて思うものじゃないよ。
あなたがなるべきは大人じゃなくて、「自分の思う最高の自分」であってしかるべきだよ。
大人に期待しちゃだめだよ。


少なくとも私は、後輩たちが社会に出た時味方になれるような居場所でありたいから、こんな所で折れてやらない。
例え入った途端に「結婚はいつ?」と聞かれ、辞める時期を図られるような会社だったとしても、やめてやらない。