新社会人へ、仕事を辞めろ

コロナによる混乱した社会情勢の中、
学生という守られる立場を卒業し社会の歯車になることに漠然とした恐怖を感じている新社会人の皆さん、こんにちは。

ちょうど一年前、あなた方と同じようにガタガタ震えていたのが私です。

20年間生きた故郷のド田舎から大都会東京へ出て初めての一人暮らしをするということも相まって、毎日恐怖でろくに眠れず、起きていても何も手につかず、現実逃避したくて近所の喫茶店に入り浸っては
「明日から社会の歯車として一端を担うの?無理」
とツイートするだけの毎日を送っていた私。

そんな私が今何をしているかと言うと、
なんと!!!
新卒で就いた仕事を半年で辞めて地元で再就職して楽しく暮らしています!


早!
展開早!
ちゃおDXくらい展開早!

そんな私から迷える新社会人の皆さんに伝えたいことがあります。

「仕事をやめろ」


社会に出ると、まじで自分が思ったよりめちゃくちゃな地獄が待ってることがあります。
芥川龍之介羅生門よりも深く「正義とは...罪とは...」と考えさせてくれるような、クソ外道が、SSRではなくSRくらいの頻度で登場します。
仕事の内容も小学校の道徳教育から逸れたようなことをしなくちゃならないこともあるし、お金も思ったより無くてしんどいと思います。
やっぱ何より、外道がこの世にはめちゃくちゃ居ます。
日本人、忙しすぎて機嫌が悪い人多すぎるので、まじで生きるの嫌になる瞬間が五万とあります。

そして嫌になって落ち込む間もないほど仕事は忙しくて、自分の好きな物・ことに触れる時間より、自分の体の回復に時間を割くようになり、生活のサイクルが仕事と睡眠のみになります。


そんな時は仕事を辞めましょう!!!!!!!!!!!!!!!!


これが大人かあ大変だなあ、なんて思いながら私も仕事をしてましたが、地元に帰って転職して思ったのは
「やりがいと忙しさは比例しない」
「忙しいこと、キツいことが社会人の証明ではない」
ということ。

私は今「それなりに」忙しくて、「めちゃくちゃ」やりがいがあって、自分の趣味に時間もかけれて、プラス自分の意思で仕事に時間を割くこともある、といったようなライフスタイル。

つまり端的に言うと、ワークライフバランスがとてもいい!!!!!!!!

仕事と私生活のバランスを自分の意思で選択してコントロール出来るし、どちらもやりがいがある。
自分の人生が自分の手中にあることをひしひしと感じる幸せな毎日!



苦しい思いをしなくたって立派な社会人であることは出来ます!
立派な社会人とは、苦しさにただ耐えることではなく、
どんな場所、環境や場面においても自分をコントロールできる人のことだと私は思います。
これは時間とか、感情とか、全てにおいての話です。

なので本当に辛い時は、普通に仕事辞めましょう。
仕事って意外と辞めれるし、意外とどうにかなります。
私の地元の同期で仕事を辞めた子が他にもいますが、私のように地元には帰らずとも何とかなっているようですし。
地元という絶望に縛られるのが嫌という人も、仕事辞めていいと思います。
てか、やめれます。やめてもどうにかなります。


無責任なこと言うなあこの人。
そう思われた方のためにもう少し具体的なアドバイスを残すとすると、

1、いつ仕事を辞めてもいいように貯金を必ずしておくこと
2、半年勤務後、退職理由として健康上などの理由があるのであればハローワークでまあまあな額のお金が貰えること

というのを肝に命じておいてください。
正直金さえあればどうにかなります。なんでも。
金がないと積みます。
なので貯金はガチでしときましょう。


本当に、社会人の定義は仕事が辛いことではないですからね。
仕事楽しい!プライベートも充実!っていう社会人にも、なれますからね。
自分は弱いから社会人失格...と自分を責めながら働いたりしないように。
以上。

彼が亡くなってから、後悔ばかりしている

小学生の頃、共働きの家庭に育った私は、休みになると同じような境遇の子と寺で集まって遊んでいた。
和尚さんは仏教の話を五分ほどして、私たちに坐禅を組ませたあと、おやつとお茶を出してくれて、それをたいらげたあとはクイズ大会をしたり鬼ごっこをしたりした。

ある日、和尚の所に客人が現れた。
お客さんがいるので今日は離れには近づかないようにと言われたけれど、途中、私はどうしてもトイレに行きたくなった。
トイレは本堂にはなくて、離れにしかない。
同じくトイレに行きたがっていた友人と連れ立って恐る恐るトイレに向かうと、廊下を挟んで向かいの部屋で、話し声がしていた。
友人がトイレを済ます間、私はじっと、その部屋から聞こえる声に耳を傾けていた。


「彼が亡くなってから、後悔ばかりしているんです」
女性らしき人が言う。
どうやら女性は先日、大切な人を無くして、和尚さんに手を合わせてもらった人だったらしい。
「毎日後悔します。もっとああしてあげればよかった、こうしていれば良かったって」
悲痛な声で言う女性に、和尚さんがかけた言葉が、私は今でも忘れられない。

「それでいいんですよ。後悔するということは、その人のことを思い出すということです。思い出して忘れない限り、あなたの中で彼は生き続けます。だから、それでいいんです」

そうかあ、と思った。

私は当時まだ小学生だったけれど、既に2人の友人を亡くしていたこともあって、なんとなく生死について思いを馳せることの多い子だった。
そして自分の中で悶々としていた、「死」や「大切な人を失う」ということについて、その時、和尚さんの言葉がストンと胸に落ちてきて、納得してしまった。



3.11
あの未曾有雨の大災害が起きた時も、私はまだ小学生だった。
学校から帰宅してテレビをつけたら、どこかで火災が起きている映像が流れていた。
右下には日本地図が出ていて、津波警報、注意報、とあり、赤もしくは黄色で地図が塗られていた。
その衝撃、記憶はあまりに鮮明だけれど、あの日からもう9年も経つ。
鮮明と感じている記憶だけれど、果たして、危機感はあの時と同じ温度で、それこそ鮮明に、抱けているのだろうか。

人は忘れる生き物だ。
だけど、思い出すことも出来る。

人の死と同じだ。
あの日の後悔、恐怖、危機感、それらを毎年この日に思い出す。
災害の記憶を思い出す限り、私達はあの日の危機感を鮮明に抱き続けることができるのではないだろうか。

今日という日はあの日と地続きだ。
まだ家族が見つかっていない人、地元に帰れていない人。
それこそ文字通りあの日の続きの今日を、あの災害を終われていないまま今日を迎えている人達は沢山いるのだと思う。

私達も、終わらせてはいけない。
思い出してあの日の続きを生きていることを自覚し、備える。


思い出す限り、私たちの中では生き続けるのだ。
愛おしい人も、あの日感じた自然の驚異も、そこからの学びも。




我が家では災害時の避難場所について家族で話し合って決めているし、水、非常食、懐中電灯などが入った非常バッグも用意して定期的に中身を確認しています。
皆さんも、備えを忘れずに。何かあった時に、自分を守れるのは自分だけです。

私の人生

先日、久々に会った友人が愚痴をこぼした。
「恋人が突然、『結婚するから来年は仕事をやめると親に報告しとけ』と言い出した」
いつかは結婚するつもりで付き合っている恋人ではあるけれど、そんな話は二人で話しあったこともなければ、具体的な予定などひとつも立っていない段階だったらしい。
私は「許すな」と、スターバックスラテを片手に激怒した。
友人も、「私の人生なのに結婚するからと言ってお前の手中に収まった感覚で口出すなとキレた」と言っていた。

そう、彼女の人生は彼女のものだ。
結婚しようと旦那のものになる訳では無い。
産んでもらったからと言って親のものでもない。
彼女の人生は一生、彼女のもの。

同じように、私の人生は私のものだ。

夏、新卒で就職した会社で見事に心をおられた私は、天井を見つめるだけの日々を過ごしていた。
お金もない。元気もない。仕事ももうすぐ無くなる。

これからどうすればいいのだろう。

毎日そればかり考えていた。
現実的に、役所でするべき手続きはどんなものがあるんだろう。
友達にはなんて報告しよう。
地元を送り出してくれたお世話になった人達になんて言おう。
就活に協力してくれた学校の先生にはどれだけ謝ろう。
次の仕事は何をしよう。
これから、どうすればいいのだろう。
何から、どうやって、誰に、なにを......
結局何も出来ず、天井を見つめ、泣くだけの日々。

ある時、何かが壊れたように急に活動のスイッチが入った。
朝起きたらまず映画を見て、昼に出前をとって2本目の映画を見て、夕方から朝3時までは漫画をひたすら読んで、寝て、起きたらまた映画を見る。
そうしているうちに、思い出してしまった。

ああ、世界は楽しいことばかりだ。

今この瞬間にも、面白い物を作ろうと頑張っている人が沢山いる。
私の人生の時間の全てを捧げても足りないくらい、世の中には楽しいものが溢れている。

誰かの悪意に耐えて泣いている時間なんてない。
誰かのために傷ついて、我慢して、消耗している暇はない。

私の人生は面白い物を消費するためにある。
私がそう決めた。

そして誰かの作品が私にそうしてくれたように、私も誰かの人生の1部になるような作品を作りたい。
そのために人生を使いたい。
私がそう、決めた。


今年は、私が私の人生を取り戻した1年だったように思う。
どこかふわふわと、自分じゃない何かの手に委ねてしまっていた私の人生が、私の元に帰ってきた。
私の人生は私のもの。
当たり前だけれど、本当にそうだ。
そして同時に、私は私の人生以外を持たない。
今このブログを読んでいるあなたの人生はあなたのもので、私のものでは無い。
人には人の人生。

私たちはしばしば、それを忘れてしまう。
自分の人生が自分のコントロール下にあることも、他人の人生は自分のものでは無いことも。
自分の人生を決められるのは、自分だけの権利だ。
だから自分の人生には責任と覚悟と、ちょっと大きな態度で持って臨みたいし、他人の人生は他人のものとして尊重したい。

社会的な名前に、自分の人生を奪われている人は大勢いるのだと思う。

学生だから、社会人だから。
女だから。男だから。
親だから、子供だから。
ブスだから、美人だから。

どんな名前を背負っていても関係ない。
人生は、自分のものだ。



ああ人生。私の人生。誰のものでもない。


令和元年の大晦日、テレビではシワひとつない肌を携えた椎名林檎が、声をはりあげて歌っていた。

どうか私と、私の好きな人たちが、自分の人生を自分の足で歩んでいけますように。
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年を。

認められたい私たち

二次創作という文化がここまで発展した背景には、「作品公開→承認」という流れがあったことは否定できないと思う。

同じ作品・キャラクターを愛する人たちが、自分の思う萌えの形に賛同してくれて、加えて筆力を褒めてくれる。これより気持ちいいことはきっとない。

 

だけど、ふと二次創作を離れたとき、私たちの創作力は浮き彫りになる。

 

例えば二次創作は、キャラクターや物語の本筋が共通認識としてすでに存在している。

日本人のほとんどが「桃太郎」と聞けば「桃から生まれて鬼を倒す男」と思うのと同じように、

とあるキャラクターの名前を出すだけで、そのキャラの立場、背景、性格が読み手にはすでに伝わっている。

 

これは色々な価値観があると思うけれど、私が思う二次創作は、

「インスタントラーメンを茹で、調理すること」

であり、一次創作等のオリジナルの創作というのは、

「ラーメン? どのレベルから作るの? 小麦から?」

と小麦栽培をスタートにラーメンを作ることだと思うのだ。

つまりそれくらい土台があるのとないのとでは、創作の難しさは異なるように感じている。

もちろん、元来料理がうまい人はインスタントラーメンをおいしく調理してしまう。

野菜炒め追加しちゃったり、煮卵付けちゃったり。

逆に料理が苦手な人は、インスタントラーメンでも自分の理想の形に作ることができないこともある。

二次創作における、「上手い下手」とはそういう事だと言う風に私は理解している。

 

 

認められたいとか、私にしかできないことをしているという自尊心を持ちたいと言う気持ちは二次創作をしていればどうしてもやはり芽生えてしまう。反応がたくさんもらえるから。はじめは確かに、萌えの追及のためのツールだった創作活動が、いつからか承認欲求のための創作活動に据え代わってしまうのだ。

だけど承認欲求を満たすためのツールが「創作活動」でなければならない理由はない。

 

二次創作でそれなりに人気を博していた作家がいたとする。

その人はある日突然、歌の才能が世間に広く認められた。オリジナルソングが最高だとネットでバズる。それでもなお創作を続けるのならば、その人の行動原理はきっと「萌え」で、二次創作のことなど全て忘れて歌だけやっていくのなら、きっとその人の行動原理は承認欲求だったのだろう

(なおこの例題において二次創作における権利問題などは一度置いておく)

 

 

 

私もたまに、考えてしまう。

私は文章を書くことが好きだけれど、それは本当に、「文章を書くことが好き」という以上の意味を持たないのだろうか。

二次創作のように反応が大きく帰ってくる、「即席でおいしいものができる」とどうしてもそれで満足しそうになる。

私が好きなのは、「文章を書くこと」なのか、はたまた「認められること」なのか。

 

 

例えばはっきりと後者だと自認してしまったならば、私はそのときは筆を折りたい。

今のところはまだ、私は文章を書くことが好きで、たとえ誰にも反応がもらえなくても文章を書くことを止めることはできないけれど。

 

 

DJ松永さんは言った。

「ヒップホップで成り上がろうと考えてる奴は上には行けない。DJが、ラップが生理現象だってやつだけが結果的に成り上がる」

自分にとってDJとは生理現象だと語った彼は、先日、世界一に輝いた。

 

 

いつだって私の一番の行動原理は、「好き」と「萌え」でありたい。

もちろん承認欲求をゼロにすることは人間なのでできないけれど、常に認められたいけれど、それでもやっぱり一番は「好き」でありたい。

 

 

 

私の最高な姉の話を聞いてってくれ

私には姉がいる。

歳が六つ離れた姉で、彼女は私が生まれる前から私のことを大好きでいてくれた。

私がお腹にいると知った日、彼女はみるみる目を輝かせ、

「私、お姉ちゃんになるの!?」

と言ったという。両親はその時の姉のことを、

「文字通り、目が輝くというのはあれのことを言う」

と語る。

姉は学生時代、一人暮らしの部屋に私の写真を飾っていた。

どんな姉馬鹿なんだと思う。

だけど、私はそれをはるかにしのぐ妹馬鹿である。

 

 

まず姉のどこが最高かというと、一人称が「お姉ちゃん」なところが最高だ。

私に対して常に姉は「お姉ちゃんはね」と語る。

彼女は私が産まれてから今日まで、ずっと私の姉でいてくれているのだ。

ある時私たちは派手な喧嘩をした。

私の神経質な物言いが彼女を怒らせたのだ。

姉は私に、「お姉ちゃん今怒ってるからね、落ち着くまで時間が必要だわ」と宣言した。

最高だ。

怒っていても彼女の一人称はお姉ちゃんなのである。

どんなに私が彼女を怒らせても、彼女は私のお姉ちゃんでいてくれるのだ。

更に落ち着くまで時間が必要、と言ってしまうあたりも良い。

ずっと黙って不機嫌でいられるより良い。素晴らしい。

 

次に姉は、少しお馬鹿である。そこが愛おしい。

ある時帰省した姉に、「ごはん作って」と言われた。

私は冷凍うどんがあることを確認し、「具が何もないから、素うどんになっちゃうけどいい?」と尋ねた。

姉は不思議そうな顔で、

「うん」

と言う。

なんだか不安な反応だ。もう一度、「素うどんだよ?」と確認してみる。

姉は答えた。

「めんつゆがいいな」

姉の言いたいことを瞬時に理解した私は、「めんつゆだよ!!!!!!!!!」と30億dbで答えた。

姉は、素うどんが分からなかったのだ。

姉の頭の中では語感から完全に「酢うどん」が出来上がっている。

 

その他にも、姉面白トークは尽きないのだけれど、あまり語るとその独創性のあまり身バレするので記すのはやめておく。

 

そして姉の一番好きなところ。

それは、常に「自然体」で生きているところだ。

 

私は姉とは対照的に、自意識過剰で、周りの目や社会に対しての自分の在り方ばかりを気にして生きている。

一方で姉は、そういうものからは離れた場所で自由に生きている。

自分のために自分で生きている。

そういう姉と一緒に居るととても心が楽になる。

 

私は可愛いものが好きだ。

ゆるふわな動物のイラストとか、ぬいぐるみとか。

だけどそれを堂々と好きと言えない。なんとなく恥ずかしいし、周りの目が気になるから。

20超えた女がこんなかわいいもの持っていたら恥ずかしいかな、痛いって思われるかな、と思ってしまう。

 

先日、姉と買い物に行った。

私は以前から可愛いと思っていたぬいぐるみのお店に姉を連れて行き、

こっそりと、恥ずかしがりながら、

「これ最近ずっとほしいなって見てるの」

とカワウソのぬいぐるみを指した。

私は、「いい年してこんなの好きなの」とか「好きだねえ(笑)」と言われると思っていたのに、姉は大きな声で、

「可愛い!!!」

と言った。

「お姉ちゃんが買ってあげる!!!」

とも。

何日もお店に通って、直接手に取ることさえ恥ずかしくて、横目に見るだけだったぬいぐるみが一分後にはもう私の手の中にあった。

 

私が恥ずかしい、とか、周りにどうみられるんだろう、と躊躇してしまうことを、

姉は一瞬でやってしまう。

「なんで? 好きなら好きでよくない!」

と本気で分からない顔をして言ってくれる。

私はいつも恐る恐る生きている。

自分の好きなものを人に話すとき、笑われないかな、ひかれないかな、と思ってしまう。

姉はそんな私の好きを、いつもあっけらかんとした顔で受け止めてくれる。

 

タピオカを飲んでみたい。

だけど長い列に並んで鹿のマークのあの有名なタピオカ屋さんに行くのはなんだか軽薄なようで、恥ずかしい気がする。

そんな私に姉は言う。

「あのね、お姉ちゃん、流行ってる有名なタピタピ飲んでみたい」

タピタピて。

 

カワウソのぬいぐるみに心の中で名前を付けた。

だけどそれを公言するのはさすがに痛いから黙っておこう。

姉、「その子名前なんにするー?」

名前つけていいんだ。そっか。

 

 

姉は人を肯定する。

それも無意識に。それが当然だから。

人を受け入れる姉は、自分も受け入れられると信じて疑わない。

純粋すぎると思う。誰かに傷つけられないといいと思う。だけど心の底から、みんなが姉のように生きるべきだと思う。

 

 

眠れない夜、私はカワウソのぬいぐるみを抱きしめて眠る。

姉みたいになりたいと祈りながら眠る。

 

 

体を治すのが医者で薬なら心を治すのはエンタメだと思う

長年、生きづらさを抱えてきた。

長年と言ったってまだ21年しか生きていない若輩者なんですけれども、

それでも私はたぶん、死にたいか死にたくないかで言うと、死にたい側の人間だった。常に。

 

私が特に生きづらいなと思った時期が、現状までで三回ある。

 

一回目は中学生のころ。

いじめに合い、人間関係のすべてを失い、

かつ思春期で滅裂な素行を取ってしまったせいで親にひどく迷惑をかけた時期。

良くも悪くもこの時、今の私の人格が発芽したように思う。

笑えてしまうほど自己肯定感が下がったのもこの時期だった。

日々何をして生きればいいのかよくわからず、成すことすべてが罪に思われて、

自分みたいな人間がテレビを見るとか、食べるとか、恥ずかしいことなんじゃ…と震えていた。

恐る恐る生きていた。

そんな折、母に誘われて市民図書館に出向いた。

読書ってなんか高尚っぽい。

これならなんとなく「私の今している行為は書物を読むという善行であります」と言い訳できる気がした。何に言い訳したいのかもよくわからなかったけれど。

だからひたすら本を読んだ。マジで、比喩ではなく、一日中読んだ。

図書館で借りられる本は一回に十冊が限度だったので、一日十冊を目標に毎日本を読み、次の日には前日の十冊を返却して、新たに十冊借りた。

家に帰って、ただただ本を読んだ。

 

この時期に読んで特に記憶に残っているのは、辻村深月の『水底フェスタ』だ。

田舎のコミュニティの閉そく感、文化が入ってくるまでのタイムラグ、周りの人間の錆びた感性。

主人公の生きづらさに恐ろしいほど共感した。

作者には、私に地獄が見えている。

救われた気がしたと同時にひどく嫉妬した。私と同じ地獄が見えていながら、それをエンタメに昇華する健常性を持ち合わせているということに、嫉妬した。

嫉妬と自分の才能への焦燥を感じながらも、それでも、あの時期あの作品たちに出会わなければ私は私を保っていられなかっただろうなと思う。

(なお、今の私はすっかり弱って保守的な大人になってしまっているのでおそらくもうこの作品の主人公には共感できない。田舎の良さって不思議ですよね。人が温かい、とか空気うまい、とかくだらないメリットしか言語化できないのに、言語化できないところに本当の良さがあるように感じてます。ただのホームシックかもだけど)

 

 

二度目にひどく死にたいと感じていたのは、五年間にわたる専門学校生時代の最後の二年くらいだったと思う。

このころは、ただ、焦って焦って辛かった。

私を私たらしめてくれたエンタメで、今度は自分が、生きづらい人を救いたい。

そんな明確な気持ちがある一方で、その為の努力ができない自分にイラだっていた。

同時に学校の勉強はスパルタで、吐きながらテスト勉強をしたり、腱鞘炎になりながらレポートを書いた。

五時間、一滴の水も飲まず実験をしたときは自分がいつ倒れるか、気が気じゃなかった。

山積みのタスクと刻一刻と迫る将来の選択の瞬間への恐れで、もう人生苦しいなあと思った。

そんな時に私に寄り添ってくれたのは、音楽だった。

 

朝はラ・ラ・ランドのサントラを一年半近く聞き続けた。

学校からの帰り道、amazarashiを聞きながら車の中でハンドルを握って号泣した。

学校とバイト先の往復で体が動かないほど疲労した日は、爆音で欅坂の楽曲をキメた。

夕日の綺麗さに思いをはせる余裕がある日は、ヨルシカを聞きながら、頭の中でMVを作ってみた。

 

もう動けない。何もできない。

そんな時に音楽は動く後押しをしてくれた。

この曲を聞きながらアレをやろう。そう思えば動かない体がなんとか動いた。

本当に「キメる」と言う表現がはまっていると思う。

 

 

 

三度目に生きづらさを感じているのが、まさに今だ。

先日からたびたび仕事無理ぽよ、みたいなブログは更新しているので更に踏み込んだことは語らないけれど、とにかく今、ふとした瞬間に、

 

 

全部めちゃくちゃになってくれ

 

 

と思う瞬間がある。

だけど冷静に、めちゃくちゃになっていくのは自分だけで、世界は平常運転なんだなと思ってしまって、また死にたくなる。

久々に外に出れて、旧友と会って酔っぱらって最寄り駅から自宅まで歩く途中、ファミレスで赤本を使って勉強している学生を見た。

とてつもなく泣きたくなった。

実際泣いた。

親孝行がしたい。社会の役に立ちたい。

そう思って、エンタメの夢を断ち切って働きに出たはずだった。

会社にも行けず、何かに夢中になる気力体力もなく、病院で処方された薬を飲みながら吐き気や腹痛と戦い、元気な時は酔っぱらって歩く私。

必死の形相でノートと赤本を睨む学生が、私みたいになりませんようにと祈った。

全然知らない子だけど、我が子のように彼の幸せを祈った。

死にたさと戦いながら過ごした学生時代が思い出される。

ここさえ乗り越えれば、明るい未来が待っていると信じていた。暗いトンネルを抜ければ明るい場所に出られると、願っていた。

 

泣きながら家に帰って、ふと、キッチンの包丁が目に入ったとき、ワアと思った。

包丁にこんなに縋ってしまいたくなることってあるんだなぁと思った。

痛いのは嫌だし、親に心配かけたくないし、みたいな理性が警鐘を鳴らしてくれたおかげでそのまま私はベッドに倒れこんだ。

でも、ただの包丁なのに、なぜか見てはいけないものを見たような気持ちがして心臓がバクバク鳴った。

分かってる。

本当は、包丁を見た瞬間によぎった選択肢が、自らの思考とは言え恐ろしかったのだ。

 

 

そんな怖い出来事があったのが、たった昨日の話なのだけれど、

明日は久々の出社日で、何としてもいかないと退職への道筋も立てられないなと思って早めにベッドに入った結果、出社への恐怖で嘔吐を繰り返し、こりゃもう駄目だと明日の出社を諦めてPCに向き合っている次第だ。

 

良く生きてるなぁ。

自分でも最近、よく思う。

だけどそんな今の私を支えてくれているのは、まぎれもなくラジオだ。

 

明日が怖い。来週も怖い。来月も怖い。

心も体もボロボロで、先のことを考える余裕もなくて、人がまともに働いていると思うと、昼間が怖くて、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋でただ横になっている。

 

だけどそんな私を明日へ送り出してくれるのが、ラジオだ。

 

月曜は菅田将暉のANN聞かなきゃいけないから、月曜まで生きてみよう。

火曜はCreepyNutsのANN0があるから死ねないな。

水曜は佐久間さんのANN0があるし、木曜は井口理のANN0がある、金曜は三四郎霜降り明星で長時間楽しませてくれる。

土曜日はオードリーのANN。

それ以外にも、好きな声優や芸人の30分ラジオが、私の小さな死にたい時間を埋めて、生きる理由になってくれてい

死ねない。明日のラジオが楽しみだから。

 

 

社会の役に立てていない。親に迷惑をかけている。ダメ人間。

そんな恥ずかしさが今の自分にはあるのだけれど、そんな人間さえラジオが笑わせてくる。

 

体を治すのが医者で薬なら、心を治すのはエンタメだと思う。

少なくとも私には、ずっとそうだった。

私の延命措置は、小説で、音楽で、ラジオだ。

 

 

誰かにとっては人生のオプションでしかないかもしれない「それ」が、

誰かにとっては命綱で、人生そのものだと言うことを、私たちは忘れてはいけない。

 

自分じゃない誰かが怒られているだけで辛い

私のTwitterを見てくれている人などはわかると思うのだけれど、もう猛烈に仕事がやめたい。とにかく辞めたい。是が非でも辞めたい。新卒で就職して半年経ってないけれど辞めたい。

 

今の私はと言えば、

朝、まず不安で目覚ましより早く目を覚まし、

吐き気で朝食を摂れないまま身支度をし、

泣きながら出勤。

会社では元気にふるまい、いかにも真人間ですと言う振る舞いをして、

トイレでひっそり嘔吐。

退勤直後、号泣。

そのまま泣きながら家まで帰り、何かを胃に入れる日もあれば入れない日も多く、

入れた日には必ずゲロまでがワンセット。

常に【仕事 辞めたい】などで検索をかけながらベッドで泣きわめき、

眠れないけど無理やりでも寝なきゃと焦り追われながらなんとか眠る。

 

もう字に起こすとめちゃくちゃヤバイ。

自律神経失調症なのは明らかだしもっと言えば鬱かもしれない。

だけど仕事は辞められない。

なんせ配属されたばかりだし。新卒だし。お金無いし。

 

 

なぜこんなにも辛いのか、整理してみると多方面から理由があふれ出て来て改めて自分がどん詰まりなことを思い知らされるけれど、私にとって文章化するということは生きて行くことで欠かせない生理現象なので書かせていただく。

 

まずなぜ辛いのか、三つの観点に分けて考えたい。

・仕事内容

・職場環境

・体力面

大きくこの三つだ。

 

まず仕事内容。

私の現在の仕事は、簡単に言うと商社の営業の仕事をしている。

なぜこの仕事を選んだかと言われれば、単純に会社のネームバリューに惹かれたというのと、業界柄、専門技術をする営業職だったため、その道の学問を学んできた自分には合うと思ったのだ。

実際、研修中は成績もピカイチだったし、向いてると思った。天職とさえ思った。

私は根っからのエンタメ人間のため、自分のやりたいことを追求するとそっち方面の仕事に行きつくのだけれど、やりたいことを仕事にするのと、向いてることを仕事にするのと悩んだときに、今でしょおじさんこと林修が、

「周りの人より楽にできることを仕事にしなさい」

と言っていたのに感銘を受けて私はエンタメに生きることを捨てて今の仕事を選んだ。

 

だけど、実際の仕事は「向いてること」だけをすればいいわけではないのだ。

そんなことはわかっていたし、社会はそこまで甘くないなんて五百億承知なのだけれど、今の私の会社は本来分担しているはずの各フェーズすべてを営業が担っている。

ほとんどの社会人の方にはわかっていただけると思うのだけれど、仕事とは共同作業だ。

A担当者はフェーズ1を、Bは2と3を、Cは4を、そうしてゴールの10を目指しましょう。

みたいなのが大多数の仕事。

で、今私の会社がどうなっているかと言うと、

Aの本来の担当はフェーズ1だけどBさんとCさんは自分のフェーズが苦手だし、今までも苦手だって言ってたらAがやってくれてたから、Aが1から10までやってちょ。

なのである。

例で言うところのAの部署にいる私、無事死。

やりたくないことをやらなきゃいけないのが仕事。

そんなのはさきも言ったけど五百億承知。

だけど、やりたくないことをやらない人たちの分を全て背負うのはちょっと、重い。なんで私この仕事選んだんだっけなぁ、となる。

更に背負いすぎた結果どうなるかと言うと、本来の自らの得意とする自前のフェーズが、常人以下のクオリティでしか完成できなくなるのだ。

もうマジで、なんでこの仕事選んだのか、理由が見えなくなる。

 

 

次に職場環境。

先ほどの話で察しの良い皆さまは感づかれたと思うのだけれど、職場環境が劣悪。

事務所には怒鳴り声が飛び交い、中年と中年がののしり合い、負けた中年のイライラを若手が一身に背負っている。

もちろん、「いい人」もたくさんいるのだけれど、私はその人たちを信頼できない。

なぜならその人たちは、確かにいい人だけれど、「自分じゃない誰かが怒られているのを見て泣いてしまう」ような感性が無い、もしくはすでに壊死してしまっているからだ。

いい人だけど、どこか壊れている。

人の気持ちに必要以上に共感して勝手に傷ついて、泣いてゲロを吐いている私の方が、世間からしたら余程異常者で、精神の弱い最近の甘えた若者で、社会不適合者なのだけれど、それでも私は自分のこの気持ちを大切にしたいと思っている。

自分が言われている訳ではないから無視できる、じゃなくて。

自分じゃない誰かでも、傷ついていたら一緒に泣くことができる。痛みを想像できる。

これは私が親から教育してもらった優しさだし、学校で習った道徳教育だし、きっと人として生きる上での真理だと思うから。

たとえ、性善説的で社会で生きる上では不適合な側に見られるとしても、私は人の傷に共感していたい。

そしてそんな風に考えているゆえに、事務所での罵詈雑言にいちいち傷つき、泣いている。

 

最後に体力の話。

事務所に居れば地獄。じゃあ営業なんだし外に出ればいいじゃん。その通り。

しかしながら最初に述べた「フェーズ1から10までやっている」状態のため、一度外に出れば仕事は果てしなくあるのである。

昼休憩なしは当たり前。残業は月に60時間。

そんな先輩たちの姿を見て、実際自分も先輩ほどではないけれど多く働いて、希望を完全に見失っている状態だ。

 

罵詈雑言飛び交うけれど仕事の楽な事務所内 VS 怒鳴り声はないけれど死ぬほど働く外

 

逃げ場なし、です。詰み。

 

早くやめたほうがいいよ、とまともな人は思うと思う。

私も割と精神状態以外まともなのでそうおもう。

だけど、新卒入社で地元を出て一人暮らしなのでお金もないし、配属に伴って出費も多かったし、お世話になった人たちに申し訳ないし、職場は人手不足だし、

とにかく辞められない理由が現実的にあまりに多い。特にお金か。

 

辞められない。

元気な人を演じながら職場以外では泣くかゲロ吐くかしかできず。

良く生きてるなぁ、と本当に我ながら思う。

だけど私は愛ある家庭に生まれてしまったので、親や兄弟がいる限り死ねないし、死ぬほど泣いてでも、なんとか退職できる環境が整うまで働くしかないのだ。

 

 

何が一番つらいのか。

一番はやっぱり、タイトルにもした通り「自分じゃない誰かが怒られているだけで辛い」ってとこかなと思う。

自分が怒られるのはもちろんつらい。

だけど、自分じゃない誰かでも、怒られてたらやっぱりつらい。

あと、めちゃくちゃ怒る人ってなぜか生活音が死ぬほどデカくて雑なので大きい音にびくびくしなきゃならないのも地味にずっと辛い。

挨拶を返してもらえないとか、もう細かいこと言えばいくらでも嫌なところなんてあるけれど、とにかく人が怒られているのがつらい。

 

 

明日も朝から病院行って、元気に胃カメラ飲みまーす!